常葉学園大学・大学院企画 今井瑾郎個展』
アーティスト・イン・レジデンス
三重県立美術館学芸員 東 俊郎


 「谷間」とは「谷と谷のあいだのこと」だと説明した辞書があったといつかきいたことがある。阿々。それならその辞書で「空間」をさがせばはたして「空と空のあいだ」とかいてあるのか、ないのか。 谷と谷のあいだは谷間ではないとしても空と空のあいだは空間でありうるし、その空はまた無であり虚であるとするとなおさら無と無とのあいだ虚と虚とのあいだには微塵が宇宙の密度で散華した空間がどこまでも透明にひろがっているのかもしれない。或いはそうであるなら空間とは虚無と虚無とにはさまれた虚でなく無ならざる、たとえば満月の月の庭の石をあらう月の光のようなものということもまた可ではないか。有乎無乎。有耶無耶。もっともこういう無の談義はきりがない。有と無をたがいにしりとりする知的遊戯の果ては、ものの重みをなくした紙のうえで紙よりもふわふわと舞い踊ることばにちかづくか、ふるい壁の無数にひびわれた亀裂に似た象形文字も同様にむずかしくて誰も読むことができない。かたればかたるほど空間は昏いあたまのなかに閉ざされてゆくことになる。

 そういったわけで、発芽しかけた時のままにとまつていたぼくの「空・間」という仮死のことばにいのちの息をふきこんでくれたのはベルグソンとかヴァレリーと呼ばれる異国の遠き神々ではなくて今井瑾郎の作品だったといえば、これはちょつとおおげさすぎるだろうか。なんだ唐人の寝言みたいだと笑っていいのである。

 ただぼくはもう二十年前にさかのぼるその寝言をいまいちど思いだしているだけだ。ことばそのものが詩ではなくて、ことばの意味性を發無するちからから詩がうまれるように、物質であるものの表層をすつと逸脱してくる感覚がやってくるや、やがてたしかにそれがみえてきたと感じたのである。

 それはいまここに「空・間」があるとなづけるしかない体験で、しかもその「空・間」はまわりを空気のようにとりまくというよりも、手足をもち、そして眼や鼻もそなえているといえばいえる、ぼくらの幻の身体に似ているということも。もちろんこの幻の身体はぼくのというより遥かに今井さんにちかかつただろう。

 その証拠に影ということがあった。強力な光源にてらされた境界となるその影たちはためらいがちにわれありとかたりたがっている。光非輝境、境亦非在、光境倶亡とはいかずに、せかいであろうとしていたのだ。つよい「空・間」をめざすといつてもいい。

 しかしこのつよさの感覚はあるときふと消えたようである。なくしたものと得たものがおなじことである旅をくぐりぬけたあと、手持ちの材料をそつくりのこして、それまで垂直を目指した「空・間」が水平にひろがった。光と影にかくされていた、古代の賢者たちがすでにかたりつくしていたもの、つまり地と水と人と風が正面に登場する。

 もちろん「空・間」そのものである空も。幻の身体そのままに肩からちからがぬけてゆく。どこかでみたものの懐かしささえたたえて、みごとにかるく浮身をみせるそれは、すでに千の口でくりかえしかたられたものの本歌取りであってもかまわなかった。だいじなのは独創的であることではない。藝術は個性の表現ではないという水のおしえ。そのおしえは大地と火と風とのおおいなる連鎖へ今井さんの眼をむけさせる。ゆるやかに呼吸しながら循環するこの世界の自然をこえて幻の身体をひろげることができたとき、それはせかいがせかいであることをほめたたえる行為にかぎりなく似てくる。













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