『長野日報』
変革の美を語る  県内現代アートの作家たち
日本(アジア)という視点の再考
(インタヴュー)長野日報記者


 小さいころよくいたずらをすると、父は私を怒って押入れに閉じ込めました。暗闇の狭い空間はたしかに恐怖を駆り立てました。しかし、突然の暗闇はとても静寂で幻想的な世界でもありました。そんな空間で空想にふけるのがなにより好きでしたから、押入れから出された私の顔を見て、父はお仕置きの失敗を認めざるを得ませんでした。
 今でも作品のプランを考える時は、押入れに入らないにしても、できるだけ狭い空間にこもって仕事をします。特に大作になるほどその傾向が強く、空間的に自分を抑圧すると、逆説的にイメージが膨らむようです。そんなわけで私のアトリエはとても狭いのです。

 今年もパブリック・アートのプロジェクトに参加して、二点ほど完成させる予定です。
 パブリック・アートは個展とは大いに違います。それは、公共の都市計画の一環としてあり、作品はあくまでも全体計画の中の一部です。たしかに作品は個人的な理念によって計画されますが、全体の中の共同作業として、相互の呼応性が要求されます。それはオーケストラと似ています。指揮者・楽団員・聴衆のすべてが響きあうとき、そこに芸術が生まれます。

自然との対話

 私は浜松野外展という自主企画の展覧会を十年間開催してきました。
 中田島砂丘は日本の三大砂丘の一つで、海と空と砂しかないところです。そういった場所をあえて選んだのは、その広大な風景と同時に、作品に対する創意と自然の素顔がシンプルな関係で出合うからです。何もない自然といっても、創るという行為を通して自然と向き合うと、そこには多様な姿が見えてくる。刻々と変化していく時間と空間の中には、モネの絵画のような空間があります。ときには波の暴力が作品を破壊します。そして圧倒的に支配する砂。その七色に輝く微細な粒子の中に、もう一つの宇宙を感じるのです。

 作品を通して、空間・環境との呼応性を考えるということは、自らをそこに投影させて、新しい関係を見いだすということです。そこに野外展の新しい方向性を提示したのです。

地域文化の重要性

 「近代」というところから脱却するために日本(アジア)という視点を再考しなければならないと思っています。
 日本の近代は西欧文化の直輸入から始まりました。合理的で実証主義的な精神は、自然科学の分野においては有用であったとしても、文化面では疑わしい。模倣した文化は擬態でしかなく、時間がたつと共に文化的な差異が明らかになってきました。自らの文化の主体性を問うときなのです。私たちは日本を語るとき、よく「日本的」といいます。どうして「日本は」と語れないのでしょうか。一時的に輸入文化が成立したとしても、あくまでも表層的なものです。基層文化というものを意識すべきでしょう。

 高遠に(長谷村)の熱田神社に、江戸期の立川流の彫刻がほぼ完全な姿で残っています。それは有名なものではなく、郷土史にほんのわずか語られているに過ぎません。ところがそれが幸いして、運よく明治期の文化の虐殺ともいうべき排仏毀釈を逃れることができたのです。現在でも、それはとても優れた彫刻にもかかわらず、ただ辺境の地域文化としてだけの視点でとらえられています。地域の固有な精神文化の象徴なのですから、それは信州の、日本の、アジアの文化としてとても重要なものだと思うのです。文化の主流はなにも西洋だけではありません。熱田神社の彫刻も、フィレンツェの彫刻も、同様に素晴らしい文化として成立しているのです。

 そういう観点で地域文化をとらえ直した時、そこにはじめて地域、国を越えた国際的な視点が生まれるのでしょう。

「混沌」の魅力

 最近よく東南アジアに出掛けています。そこは辺境の地ではありますが、とても魅力的なところです。
 構造主義以降の西洋の哲学にカオス(混沌)という問題があるが、東南アジアではそれが哲学ではなく現実の世界として存在します。例えば、そこでは人間と自然というように対立した関係が生まれない。当然、呼応性とか共生というような概念も成立しない。それ以前に、すべてが交じり合い混沌とした、あいまいな世界なのです。境界のない、融然とした世界。私は、近代からの人間性の復権を、そんな東南アジアに感じています。













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