『読売新聞』カルチャー
近代超えるアジア的視点
今井瑾郎執筆
 

 ヤンゴン市からイラワジ河を渡ると風景は一変する。濁色と鈍色の混淆、カオスの支配、そこにはアジアの野生がある。放逸な旅の果てにそんな辺境を徘徊すると、小さな村のカフェに辿り着く。
 異様な臭気と喧騒のなか、異邦人としての私はたちまち儀式のような凝視に晒され、薄暗い室内は男たちのそんな白い眼光にみちている。だがそこに敵意はなかった。

 男たちはみな何らかの宗教を信仰している。濃密な信仰心のある彼等の殆どは仏教徒なのだが、なかにはキリスト教・イスラム教・ヒンズー教のシヴァ神とヴィシュヌ神信仰もいる。またこの国古来からの精霊(ナッツ)信仰もそこに関わってくると、さらに複雑になってくる。こんな辺境の村の日常に世界の宗教が偏在し、しかも固有のアニミズムまで共存している状況に驚くと同時に、多様な宗教を許容し培養させていくこの国の人々に、豊饒な心の余裕のようなものを感じる。そしてそうした精神の土壌の地平の根元には、すべてを包摂していく世界観の基調としての仏教思想があって、そこからこの国の文化の生態学が演じられている。

 パゴタ(仏塔・寺院)とはブッタの化身として、仏教(小乗)の世界観を形象化したもので、須弥山と輪廻転生という思想体系を背景にしている。パゴタの本体は基壇から垂直に最頂部の天界へと向かい、涅槃を象徴する「ティー」という傘蓋へと続く。さらにその地上には百二十八の地獄を設定した。こうしたパゴタはその形象自体が世界観を物語る媒体としてある。そしてそれが象徴にむかって収斂するポトス(磁場)としてある時、それは限りなく彫刻に近い。また内部には巨大な仏像が祀られ、壁画で装飾されたものもある。しかし中小の殆どのパゴタには内部空間がなく、そこに建築的機能はない。やはり宇宙に呼応していくような形態の外観が尊重されたようである。

 こうしたパゴタの多くはパガンに集中していて、なかでもアーナンダー寺院が傑作といえる。それは十一世紀のパガン朝建国時にタトンのモン族によって建立され、すでにこの国独自の様式が完成されていた。宗教的パトスとして蒼空に屹立するパゴタは流麗な美を誇っている。それはインド文化の土壌にクメールの水を注ぎ、文化の交点のなかで融合と包摂のパガン文化を培養したといえる。

 また小乗仏教を国の宗教と定めたパガン朝は封建制による世襲的貴族社会ではなく、無階級平等制による民主的で寛容な社会が形成されていた。そのため王も合議制できめられ、裁判では王族も平民に敗訴した記録まである。そうした平民の精神から双系的親族の原理が一般的で、男女の性差と家系制の問題もそこでは存在しなかった。それは他の東南アジアの国々も同様で、規範・制度を重視した硬質で萎縮した社会ではなく、そこではゆるやかな社会構造が形成されていた。人間の関係においても国・制度を意識した繋がりではなく、自然で柔らかな「間柄の関係」が主で、住民の移動に関してもとても自由であった。そうした軟質で植物的な社会の土壌から、「功徳」の精神を背後に、当時五千ものパゴタが建立されたとしても不思議ではない。

 パガン朝と東南アジアの文化は包摂的融合性の中で成立し、文化の交点として貴重な存在である。しかしそれは近代合理主義においては決して主要な歴史・文化ではなく、空白の部分として論じられてきた。いま自ら(アジア)の視点で、旧来の枠組みの外部から別種のコードとして歴史文化を挑発するとき、始めて近代を超える。「生きた過去」として、パガンの大地に大いなる文化の受胎力をみたとき、新たなコードが生まれる。













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