『読売新聞』 カルチャー
天と地を結ぶ精神の柱(ミャンマー・パガンのパゴタ)
今井瑾郎執筆


 川はその流れのなかに文明を写していく。
 インドと中国との狭間にあって、水源を横断山脈に発するイラワジ川はミャンマーを縦断してベンガル湾に注ぐ。歴史そのもののように滔々と流れる川に「無常」を感じたとき、その風景はストイックな青翠に包まれる。

 中国の古い文献からくるミャンマーとは「美しい所」という意味であり、まさしくこの川が育んだ大地のことである。中世のパガン王朝の遺跡はそんな川の中流にあって、静影を今に湛えている。

 パガン王朝は十一世紀に中国の南詔の支配を逃れて南下したビルマ族によって建国された。初代アノーラタ王はタトンの高僧シン・アラハンを厚遇し、王自らも帰依しながらスリランカ系の上座部仏教を国に広めた。王制ではありながらバラモン教との対比として成立した仏教社会は、無階級平等制を基本とし、世襲的な貴族社会を形成しなかった。王と民衆はそうした社会を背景として、崇仏の情熱で一貫して上座部仏教に傾倒していった。その熱い信仰は仏教の未曾有の隆盛を生み、異常なほどの寺院、美術工芸活動を展開していった。その結果、五千ほどのパゴタ(寺院)が建立された。それは王と民衆との一体となった信仰の帰結であり、信仰という精神の結実でもあった。

 遺跡の中心はオールド・パガン地区である。壮麗な姿のアーナンダー寺院は遺跡を象徴し、そのなかの白眉として最も崇拝されている。また、中小のパゴタも無数にあり、形状も多様で、決して同じものはない。なかにはヒンズー教の塔まで混在し、その光景は多様である。そしてゴードーパリン寺院の基壇上からの眺望は、荘厳なものである。四十二平方キロのパガンの地平に、二千ものパゴタがその円錐形を天上に向けて静寂のなかに屹立する風景は、精神の磁場のように濃密な空間で満ちている。

 パゴタとはパーリー語の「タバゴ」が訛った英語である。ミャンマーでは一般に「パヤー」といわれ、「死者が残したもの」という意味として広く崇拝全体に用いられる。ストウーパーはヒンズー語であり、古代インドにおいては「天と地を結ぶ柱」という意味である。いずれにしてもパゴタは、五戒を守り、死後に生天を希求した人々が、天上の仏と地上の人の世界との関係を結ぶものとして建立された。そして、ミャンマーの人々は生成する自らの存在をそこに投影させていった。

 こうしてパゴタに信仰を託してきたミャンマーの人々には、豊潤な精神を許容する余裕があるかのように、今も多様な宗教が混在し、共存している。そしてそのすべての宗教の基底にあるのが古来からの民間信仰である「ナッ」という精霊信仰である。大きな菩提樹のもとに「ナッ」の祠がある。その神々と釈迦の姿が重なったとしても不思議ではない。













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