『読売新聞』
「再構築へ文化の彩度・明度・色相」
作品を制作していて思いだしたこと 安部公房の写真/雲岡石窟の光/サンパトリツィオの井戸
今井瑾郎 執筆


 作品を制作していて、何の脈絡もなく三つの事柄を思い出した。
 先日、安部公房の写真展があった。「箱男」「都市への回路」「砂漠の思想」に掲載されていた作品で、それは何でもない日常の断片としてのスナップ写真である。それは彼の文学の結晶であり、決して内容の解説としての写真ではなく、内容と等価な独立した作品であった。
 彼は日本の戦後文学にあって、現代というところから『見る』という問題をとおして、表現の大いなる旅路を明晰にしようとしていた。そして、あらゆる媒体(写真・演劇・シンセサイザーによる作曲)を表現の等価なものとして複眼的に表現を構築した。伝統からの整合性という古い回路を断ち切り、現在からの出口(脱走という時・空間)を模索していたのであろう。
 彼の小説の冒頭に「終わったところから始めた旅に終わりはない」とある。彼の表現にはいつも「生」の可能性に対する鮮やかさがある。それは文化の彩度である。

 中国の夏は暑かった。石彫の研究家としても有名な小池郁男氏のもとに仏教美術訪中団に参加する機会を得た。キョウ県・竜門・天竜山と大同の雲岡石窟を中心とした研究旅行であり、私は特に雲岡石窟に期待していた。大同の研究員用の宿舎に三泊し、雲曜(北魏の僧)の五屈(16‐20)のなかでも第十七屈が美しかった。
 私はその単室屈の共門(アーチ)から内部に入った。冷気に包まれた石窟は、吸音された円い空間としてあった。中尊は十五メートルの菩薩交脚像で、北魏特有のやや面長な顔立ちと交脚像であることから、ガンダーラの様式を彷彿させる。菩薩像は南壁の明窓から降り注ぐ充分な光の中にあった。
 ガンダーラ・北魏・飛鳥というぶんかの伝承経路の交点と複雑な中国史のなかで、現代まで生き続けてきたものは、いったい何なのか。その光は現代の状況に照合し、照射し続けているように思われてならない。それは文化の明度として。

 エトルリアに起源をもち、四方を断崖に囲まれたオルビエートの町が、はるか雲の上にあった。閑散としていて人影はない。エミリオ・グレコのレリーフを扉にした金色に輝くドーモ(聖堂)とエトルリアのポルタ・アッラルコ(石門)があり、すぐ横にサンパトリツィオの井戸があった。
 直径十三メートル、深さ六二メートルの螺旋の二重階段になっている。行きと帰りは違う通路になっていて、ゆっくりと下降していった。それはルネッサンス期に造られたものではあるが、エトルリアという未知な世界へと歴史を溯り、垂直な連続性のなかに凍結された時間の孤独が支配していた。
 小アジアに起源をもつエトルリアが東洋と融合するような歴史観を信じながらさらに降りていった。凍漬けになった生命の香り、オルビエートの生命の水は、いまだに豊かさの中にあった。そこには静寂さという鏡があり、降りてきた入り口を円く映していた。サンパトリツィオの井戸。それは世界のどこにでもある遺跡の一つなのかもしれないが、私は深い文化の色相をそこに感じた。













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