『朝日新聞』
〔美術〕   「なによりも気持ちがいい」

三重県立美術館学芸員 東 俊朗
 



 愛知県美術館十階にある展示スペース2は、巨大ビルのなかにあいた空き地のような不思議な場所である。いつもはほとんど人がいない。いないからいいのだけれど、もともと無機的でしまりのない空間でしかないそこのほぼ中央に「それ」がある。底のあさい中華鍋(なべ)をふせたかたちを想像してもらえばいい。あるいは大和三山をもっとゆるやかにしてみても。

 空からみれば円である「それ」は、はじめてみたとき、黒いUFOがいまにも大地に着地しようとする姿にみえ、おもわず登りたくなってしまった。登ればきっと違った風がふいている。非情の無機質でできているのに、新しくて古い。いってみたこともない新羅の古墳みたいに、遠い記憶にふれてくる人懐かしさを感じさせる。 なにより気持ちがいいのは「それ」が「作品」の顔をしていないこと。つくった人の手の跡は温(ぬく)もりをかすかにのこしてほとんど消えかけ、周囲にしっくり溶けあっているようにみえる。だけど本当は違う。空間になろうとしてなりきれない、その空間のマイナスの凹(へこ)みをみつけて、そこに「それ」が置かれるだけで、場所のすべては手袋のように裏がえされ、空間は目にみえ手にふれることのできる「空間」となった。なにもないって。もっと感覚をひらかなければ。たとえばその周囲をめぐる。ぼくの足できっかり三十七歩。三十七歩でまわる間に、冬はこの鉄の大地にそっと枯れ葉をおいてゆくし、雨の雫(しずく)落ちて鳥のさえぎりがきこえてくる。なにもないどころじゃない。








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