『読売新聞』
「新しさ」への疑問
 信州・長谷村の熱田神社本殿彫刻に見る民衆の熱気

今井瑾郎



 信州・高遠の町へ調査に訪れた。参加したのは加藤智弘氏、松田国弘氏と私の三人であった。建築家であり、特に社寺建築に実績の多い加藤氏は立川流を目的に、守屋貞治(江戸期・高頭の石工)の研究家である松田氏はその作品に、そして、私は彫刻家として自分の出生の地の文化として、その両方と丸石神(甲州の道祖神)に興味をもっていた。

 従兄にあたる郷土文化史の研究家を訪ね、さっそく彼の案内で郷土資料館の立川流の仕事を見たが、あまり良質な作とはいえず、残っている量も少なかった。これも明治期の近代化という激しい歴史の変化の中で、自ら派生した文化を破壊させてしまった悲劇の一面であろう。誠に残念でならなかった。翌日、高遠から少し離れた、もはや過疎化したとしかいいようのない長谷村に熱田神社があることを知り、さっそく訪れた。

 人の訪れる気配のないそれは、鞘堂にひそやかに包まれ、山すその深閑とした空間のなかにあった。薄暗い本殿を見たとき、私はその姿に凌駕としかいえない感銘を覚えた。竜・唐獅子・獏・花鳥の彫刻は実に巧妙華麗で、強い生命感を帯びていた。そして、色彩もまだ退色が進行していなかったし、朱色・浅葱色・白群の乱舞が見事であった。また、なによりも建築・彫刻・色彩がこれほどまでに調和し、気合としかいいようのない関係を演じている例に久しぶりに出合った。ちなみに日光東照宮の彫刻と比較してみたが、決して遜色のあるものではなく、むしろ素朴で直截的なエネルギーと、なによりも民衆の中から生まれた熱気を感じた。

 この熱田神社は宝歴十二年(一七六二)の建築であり、わずか百数十戸の氏子が、大枚三百両を出しあって建築したものである。建築には宮大工の高見善八が棟梁となり、彫刻師は上州の関口文治郎、さらに着色は森田清吾であると記されている。そうすると、この熱田神社の完成は一般にいわれる立川流始まりの五十年程前ということになり、おそらく立川流の遠からず母体となったように仮設を立てても不自然ではなさそうだ。

 次に、感動から醒めないうちに、守屋定治の石仏を見た。守屋定治は江戸末期に活躍した名石工でこの地に居をかまえ、甲州あるいは伊勢路にまで作を残している。その作風は石仏の頭部の形状、顔の表情に特色がある。様式化された仏の顔を逸脱し、非常に自由な表現と、官能的な顔の表情のなかに、なにか職人の技術が高揚したとき特有な表れとして個性を刻んだように思われてならない。また、そのような中に意識されない状態の日本の近代自我が当時からすでに芽生えていたかのように感じられる。

 また、この地から甲州にかけては道祖神の多いところとして知られている。私が特に興味をもったのは、甲州のほぼ全域に広がり、その地域特有な丸石の道祖神(球形の石を焼いて祭る)である。全国的にも多少は存在しているにしても、甲州の道祖神はほとんどがこの抽象的な丸石神なのである。しかし、その体系だった研究はいまだにないのが実情で、明解に説明はつかない。柳田国男の「石神問答」あるいは、中沢新一らの丸石神調査グループ「丸石神」の研究を頼りにする以外にはなさそうだ。いずれにせよ、この球形の石のなかに民衆の信仰、日本の精神史、日本人の世界観の源泉を見るようであり、その不思議な神秘性をとおして、我々(日本)とは何かを知るうえで貴重な一面を見せているように思われてならなかった。

 このように立川流・守屋定治・丸石神をとおして、私の郷土の文化史の中で、民衆にどのような精神と情念が花開いていたのか、あるいは精神構造と世界観を持ちえていたのか。語られてはいない歴史の片隅の認識のとらえ直しが必要に思えてならない。しかし、今となっては、近代の歴史の空白と断絶を超えて語ることはできない。その位相としてしか成立していない現代からは何の文脈も手がかりもない。言いかえれば、西洋という冷めた表皮に、なぜか熱い別の意識が宿っているが、それを認識できずにいる不条理な分裂状態になっている。

 私は現代の彫刻家として、今なぜあえて古いものを凝視しようとしているのか。それは単純に歴史を回帰するものでも、「日本的なるもの」を短絡的に獲得しようとすることでもない。問題なのは、すでに古いというモダニズムの視点で閉じ込めることにある。もしそうだとすると、いったい新しいということはどういうことなのか。それは近代から継承している輸入文化をまた繰り返すことなのであろうか。私はこのことのほうが不思議でならない。参照する文化はありえても、自らの文化を曖昧にする国は他にないからだ。自らの新しさは、自らの内に秘めている。信州に「ヅク」という有名な方言があるが、それは古語でいう霊力・生命力という意味である。今もこの地方で多様な意味として、なくてはならない言葉として生活の中で力強く生きている。








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