『読売新聞』
「日韓現代美術交流展に参加して」
 黒色が語るもの(禁欲・民族・情念…韓国作家の横軸)

今井瑾郎



「際立った変面作品」
 一九八七年二月十三日、金浦空港は凍てついていた。今回の日韓現代美術交流展87の通訳である朴光烈氏がすでに出迎えにきてくれていた。朴氏は多摩美術大学大学院版画科の留学生であり、在日二年とのこと。流暢な日本語で挨拶をした。

 この交流展は、昨年の三月にソウル・ヨコハマ現代美術展86というタイトルで神奈川県民ホールで開催され、その返礼としての展覧会である。ソウルのほぼ中心に位置するART COSMOS CENTで二月十六日から十二日間開催された。日本側は私を含めて十一人、韓国作家十四人であった。三十代が多い日本側に対して、韓国作家は二十代から六十代まで年代の幅がある構成であった。内容は平面・立体・パフォーマンスであり、日本側のパフォーマンスは池田一・ヒグマ春夫、韓国側は安至仁・李健傭の計四人であった。このパフォーマンスは十六日のオープニングに演じられた。

 韓国作家ではとりわけ平面作品が際立っていた。李升澤は、平面と立体の併用作品であり、重厚でどこか禁欲的な精神の世界へと向かう求心的なイリュージョンがあり、韓国の情念が感じられる力作であった。美英順は布の平面作品であり、着彩し刺繍を施している。多様な表現形式を取り入れながら、伝統と民族の文化意識を作為的ではなく自然発生的に表出し、決して安易な様式に流されない主体性があった。「歴史的な文学性が」 伊命在は木を素材とし、暴力的に粉砕された木片は、すべて墨を塗られた集合体と化し、ネガティブに木の存在を開示していた。そして、その集合化された木片は質的に転換され、強烈な生命としてのエネルギーを宇宙へと拡散させていた。また、安至仁のパフォーマンスは日本の現代美術の文脈に沿ったドライな美学とはまったく異なり、民族色が色濃く反映し、ウエットな表現として静から動へ、動から静へという起承転結があり、歴史的文学性を有するものであった。

 それから、私は韓国の幾人かにインタビユーを試みた。それは韓国の作家の作品にほぼ共通して黒色が使われているのを見出したからだ。韓国における黒とは何か。私の素朴な疑問に、伊命在は次のように語ってくれた。「黒は精神の光、黒は内面の光、黒は霊魂の光、そして黒は象徴的だ」と。このように、韓国の作家のなかには横軸としてつながる共通項がある。それは禁欲的、民族的、かつ深遠な情念がある。

 日本の近代美術は伝統と決別し、ヨーロッパ美術様式を獲得することで、自らを解放し、欧米と伍したが、自らの主体の喪失という新たな危機を背負ってしまった。しかし、韓国においては単に民族性とか地域性を捨て去ることなく、また、それらを極端に増殖させることもなく、普遍的な芸術を達成した。このことは多様な表現様式に対する禁欲的な姿として表れ、韓国の現代美術の大きな特性ともいえるモノトーンの平面を確立した。つまり、韓国の現代美術が外からの近代をむかえつつも主体としての中心を喪失しなかったように思われてならない。それは韓国の作家が常に状況に対するいたみということを知っていたからであろう。「深夜まで踊りの輪」 帰国も近くなり、連夜、韓国作家と酒を飲みながら交流をもった。「愛してはいけないけれど愛さざるをえない」という意味の韓国の艶歌が流れる酒場で、国際性と民族性・アイデンティティーの問題・韓国の建築様式・韓国の食・韓国の森林の歴史的な暗い影・道教の思想等々、酔いとともになんの脈絡もなく、多岐にわたる話題が展開し、時には朝までつづいた。そして、帰国の前夜。日韓の作家全員が円形に肩を組み、深夜まで踊った。韓国の長老の作家李升澤氏が「これが本当の作品です」と語ったことが印象的であった。「日韓の文化的差異」 私はこの交流展をとおして、日韓の文化的な差異を強く感じた。韓国文化院の朴澤喚氏は次のように記している。「それぞれの作家が、韓国の文化を知ることは、同時に日本の文化を知ること、また日本の文化を知ることは、とりもなおさず韓国の文化を窮めることでもある」と。私もまったく同感である。自らを知るということは、他に投影された自らの像を見ることだからだ。








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