『読売新聞』
「美術―空間との接点」二つの出来事から

今井瑾郎



浜松野外美術展
 環境(空間)的な仕事に興味を抱いたのは五年まえからで、個展を中心として野外美術展も行なってきた。自ら企画参加した浜松野外美術展もそのひとつであった。

 一九八〇年に第一回展を開催し、八十二年を除いて毎年続け、八十四年で四回展になった。この野外展の特色は、自然を背景とし、作家の主体性で展覧会を構成しているところにある。これは別段目新しいことではない。しかし、従来の野外展が、野外であることの本質的な意味を喪失し、美術の制度としての形式的な慢性化という問題を残した。そういったことに対する反省的な視点に立脚し、新たな方途を模索することにあった。また、自然(空間)を背景として、その最中にあって、自然を参照し、自己とのニュートラルな関係のなかで、新しい回路を見いだすこともこの野外展の目的であった。

 展覧会は約1週間開催され、その期間中作品を展示するということではなく、現地での制作と、そのプロセスを含めたものである。また、会期中夜間のパフォーマンスもあり、多種多様な表現形式をとっていた。私自信も昼と夜という方法で行なった。プログラムのない上演であった。

 こういった展覧会も4回の開催において、必ずしも順調にいったわけではない。作家集団であるということにおいて、経済的な理由は当然のこととしてあった。また、一般社会における野外展の通年と合致しないし、これは公共用地借契約時における各種の事務処理の煩雑さにつながり、文化レベルとは無縁な出来事を生じ、展覧会の開催を著しく困難にしてきたことも事実であった。しかし、このようなことがあったとしても、各地から美術家をはじめとして、建築家・音楽家・写真家・詩人・舞踏家各ジャンルの人々が訪れてきたし、また、コミュニケーションも持てた。こういった生きた出来事の体験を含めて、作家の作品に対する行為にさほど支障もなかった。作家の関心は常に自然(空間)へと向けられ、新しい自己に向けられていた。

 浜松の自然は、茫漠とした砂丘と、限りない水平線の海に支配されていたし、荒々しい天候の変化、波による砂丘の急激な変形があった。そこでの過酷な労働と、その反比例としての精神の高揚があった。そして、こういった場所を選択し、出かけていった本質的な理由としては、自然(空間)での美術を様式化し、固定化された概念にあてはめるのではなく、私自信の美術に対する内的な必然性が、自然(空間)を参照したかったわけであり、閉塞した近代性を超える問題が顕在していたからだ。また、自然(空間)とあえて対峙することにおいて、原初的な自己と、自然との呼応性を意識し、その関係のなかで、複雑で多様な生きた出来事としての重層的な構造の知覚において、美術の視座から、大いなる新たな記号の回路をみいだしたかったからだ。江南市民文化会館 野外の仕事のもう一つの延長として、都市空間、特に美術とは歴史的に深い関係にある建築空間にも興味をもっていた。そして、一九八四年の夏、私にひとつの機会が訪れた。江南市民文化会館での彫刻の仕事である。

 建築の概要と特徴は、敷地面積八千坪・建築面積二千坪であり、外壁をラスター仕様のタイル(灰色の反射性タイル)と、熱線反射ガラス(ハーフ・ミラー)で覆い、歩行動線からメインエントランス上部の大きなひさしを媒体として、外部空間との連続性を演出していた。また、外壁に映し出される自然の相貌の変化が、巨大な建築物でありながら、自然(空間)に溶け込み、中性的な存在のなかに、空間との対話を感じさせる点にあった。

 私はまず、半ば完成したこの建築の観察からはじめ、担当設計者、市の関係者と会い、文化会館としての基本的なコンセプトの説明を受けた。そして、建築を充分に把握したうえで、私との共通項を考察する作業からはじめ、文化論を含めた彫刻計画書を作成した。空間に対して寡黙なる建築というよりも、この饒舌なる建築との接点が、私の現在の仕事と合致した。

 私はこの仕事においても可能な限り、市役所・建築家・その他の分野の人たちと話し合った。それは現状として、それぞれの分野の社会性における状況が分断化され、すべてが暗黙の了解のなかにあり、閉塞した完結性のなかにあることに危険性を感じていたからだ。文化会館という場は、人間のプリミティブな表現の場として、文化の複合的な機能に対して、相対的な活性化がなければならない。そういったところに置かれる彫刻も、完結化された作品として、なんの脈絡もなく設置すればよいということにはならない。たしかに彫刻の意味性は、形状に象徴されることではあるが、その一方で、どのように世界(環境)に対応し、何を獲得し得るかが重要である。それは形状の意味をとおし、時間性を含蓄したなかで語られる精神性の問題としてあるからだ。

 今日、各都市において、都市景観の見直しの一環として、なんの脈絡もない彫刻が設置されている実例をよく見る。彫刻を設置すれば文化の象徴になりえるという不毛な思考ではなく、総体的な視点に立った文化のレベルでとらえるべきであろう。あらゆる文化というものは、他者との関係を無視しては成立しないし、美術も関係の総体としてある。

 浜松におけること、江南市におけること、私は二つの仕事をとおして、美術の深遠さに開示される豊饒なる世界に向けての加算する旅立ちとして、美術から環境(空間・自然)へ、環境から美術へという二重の関係性をとおして、環境・自然・空間との接点に新しい回路を予感した。








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